ケイ・スリー
「お父さん、待って・・・。わたし、まだ、うまく飛べないよ。ちょっとゆっくり飛んで!」お父さんは、少し不機嫌な顔をして
「何を言っている。ぐずぐずしていると、美味しいミツがなくなっちゃうぞ。」とわたしのほてった体を羽ばたいてあおいでくれました。
「だって・・・疲れちゃった。ちょっと休ませて。」とわたしは、お母さんが病気なことも忘れてお父さんに甘えました。
「だったら置いていく。後で、怖い目にあっても知らない。」と、ぷいと振り向いて、どんどん先に飛んでいってしまいました。わたしは、仕方なく、急いで、お父さんの背中を追いました。お父さんは、いつも正しいことを言います。お父さんの言う怖い目とは、ハチの巣の中で勉強したことでした。ハチの巣の外には何があるかわかりません。突然の風に吹き飛ばされて迷子になったり、トカゲや、鳥に狙われたりしたら大変です。ハチの巣から外に出て不安になってもお父さんといれば心配ありません。お父さんはわたしばかりでなくミツバチのみんなからも頼りにされていました。お父さんの、いろいろな経験や知恵は、ほかのミツバチ仲間からも一目置かれていました。美味しい花畑のありかをいつも誰よりも一番先に見つけます。そして、その飛ぶスピード、力強くどこまでも飛んでいく体力、また、方向の変える時のコーナーリングの取り方には、敵うハチは、いませんでした。もちろん、それだけではありません。きまぐれ風や強い向かい風の中を上手に飛ぶテクニック、そして何より、美味しいミツのありかを探す能力、さらには優雅にダンスを踊るしなやかさを持ち合わせているスーパーヒーローです。わたしは、お父さんからはぐれないように、しっかり後をついていきました。その日は、風も穏やかとても飛びやすい日でした。わたしは、いままで見たこともない景色で目を奪われながらも、先を飛ぶお父さんについていくに必死でした。
野原を越えて、丘越えて、青い大きな池を越えたあたりで、わたしたちに似た親子のミツバチが飛んでいるのが見えました。わたしたちと同じような雰囲気で、こどもに、おいしいミツの探し方を教えようとしているような気がします。それにしても向こうの親子は楽しそうです。その笑顔の中に、「おいしい花のミツを探すのは自分たちだ。」と火花を散らしライバル心はメラメラです。疲れたなんて弱音を吐いていられません。みんなおいしい花のミツを探すのに頑張っています。どんな事情があっても負けられません。お父さんは、スピードアップして、その親子の距離をどんどん離そうとします。わたしは付いていくだけで精一杯でした。親子のライバルバチをふりきり、しばらく飛んでいくと、林を越えたうあたりからアカシアの花の甘く芳ばしいいい香りが漂ってきました。気がつくとあたり一面、アカシアの白い花に包まれていました。お父さんは、中でも一番たわわになっている花のミツを一機に飲み込んで「お前も飲んでみろ。おいしいぞ」とわたしにミツを勧めました。そして「ここだ。」といって、そのまま真上に飛んで大きな羽音を出して仲間に知らせ始めました。合図は、もちろん、喜びを体いっぱいで表して踊る8の字ダンスです。
それは、ミツバチが仲間のおいしいミツを持った花のありかを教える行動です。わたしは、ミツをおなかいっぱい吸い込み、そして、お父さんの踊る華麗な8の字ダンスを見ながら花粉のベッドに横たわってとてもいい気持ちになりました。お父さんの描く華麗な8の字ダンスは、いつもより大きく、いつもより激しく、そして、いつもより情熱的でした。わたしは、そんなお父さんが、とても格好良く見え誇らしく、わたしもいつかは、あんなダンスを踊りたいと見とれていました。そうこうしているうちに仲間のミツバチがだんだんと集まってきました。
「お疲れさま」
「いつも助かるよ。」
「またまた、お手柄だね。」
「やっぱり、すごいよ。」
と、仲間のみんながお父さんに声をかけていきます。それを聞いて何だかわたしは、とても鼻高々でした。
仲間の大人のミツバチは、ミツと花粉を集めては何度もハチの巣の間を行き来します。穏やかな初夏を感じる日のことでした。
・・・と、そこまではとても平和でした。