ケイ・スリー
お父さんが養蜂場に出かけたのには、ちゃんとした理由がありました。それは、このごろ元気のないお母さんに新鮮なハチミツを飲ませたいと思ってのことだと後になって知りました。お父さんは、この町のはずれに養蜂場で新鮮なハチミツを売ってくれると聞いてさっそく出かけたのでした。小さかったぼくを連れ出すことで、少しでもお母さんの負担を軽くしようと考えたのかもしれません。ハチミツは、自然の恵みで体によく、人を元気にする力があります。体の弱ったお母さんには、ハチミツをのませ、元気になってほしいと思ったのでしょう。
お父さんは、働いて働く仕事人間でした。いつも、仕事、仕事で、一生懸命で、嫌なことや我慢しなきゃならないことをたくさん抱えこむような人だったそうです。そんなボロボロのお父さんのことわかって、全部、優しく受け止めてくれるのが、お母さんでした。そのお母さんに元気がなくなっています。もともとからだが、弱いおお母さんです。少し休ませることと、栄養をつけてあげるしかありません。お母さんを助けてあげることができるのは、お父さんしかいません。今思えば、お父さんは、不器用な人で、お母さんがいなければ何もできない人でした。それでも、威厳があり、怖い存在でした。お父さんが仕事から父が帰ってくるだけで、わたしたち子供の好きなテレビも見られなくなってしまいます。テレビで、ちょうどいいところなのに否応なしに、消されるか、チャンネルを変えられます。そのため、わたしは、友だちと話が合わないことがよくありました。また、休みの日、お父さんが家にいるだけで、ピリッとした緊張感が漂います。お父さんは、いつ気難しい顔で新聞を読みます。お父さんの「お茶っ」の一声に、タイミングよく、お母さんは熱いお茶をいれた大きな湯のみに持っていきます。お父さんは苦虫をつぶしたような不愉快そうな顔をして、お茶をすすります。そして、煙草の火をつけます。部屋はたちまち煙草の煙で雲ができるようでした。お父さんは、休みの日でも家にゆっくりすることはなく、いつも仕事を持ち帰り、そろばんをバチバチとさせている人でした。わたしは、お父さんの邪魔にならないように、外で遊ぶか、家の中では静かにしなければなりませんでした。そのぐらいは当たり前のことで、お父さん中心に地球は回っていたのです。その責任者兼お父さんの一番の理解者は、お母さんでした。おとうさんはお母さんがいなければ何もできない人です。多分、自分の下着一枚どこにしまってあるかわからないような人でした。お父さんが威張っていられるのは、お母さんのおかげです。そんな大切なお母さんの調子がよくないのですからお父さんも心配です。お父さんは、家にいるだけでお母さんの負担になるわたしを連れて自転車で町外れの養蜂場に向かったのでした。まるで親子のミツバチが、お花畑にミツを探しに出かけるかのよう気分です。というか、わたしとお父さんは、ミツバチの姿になっていました。