ケイ・スリー
すがすがしい初夏のある日、私は、ソファーでウトウトとしていい気分になりました。すると幼いころの声が聞こえてきました。
「ぼくは、鳥、大空を飛ぶ白鳥だったと思う。」「ぼくは、ライオン。ガオー」と、子どもの頃、自分が生まれる前のことを話したことはないですか?自分が生まれる前のことを「前世」といい、それが本当なのかどうかは誰もわからないと思います。
「キミは何の生まれ変わりだい?」と聞かれて、すぐに答えはでてきません。」
ただ、とてもラッキーな人は、前世でも行いが良く幸運に恵まれていたのだろうと考えるし、不幸な人には、前世の行いが良くなかったと勝手なことを言います。更には、人に恨まれるぐらい悪い人、目の上のタンコブには「今度、生まれ変わってきたら許さないから・・・」と、いつの間にか自分の方が優位な立場になっています。それに比べれば、お金のことや自分の損や得が関係のない子どものころは、無邪気で良かったと思います。
そんなわたしは、小さかったころはどんなことを考えていたのでしょう。目を閉じたまま意識が薄れていきます。
「ぼくは、ひょっとしてどこかの国の王様だった。」
「わたしは、タンポポ、いいえ、バラ。きれいなバラには棘があるなんて・・・」
「ぼ、ほくは、ミツバチ・・・」
そうです。思い出しました。ぼくことわたしは、ミツバチでした。どうしてそう考えたのでしょう。
それは、知らぬ間にお父さんのことを思い出していたのかもしれません。お父さんは、わたしが、まだ、幼かった頃に、亡くなりました。そのためか、お父さんとの思い出は、あまりないはずなのですが、お母さんやお兄さんからお父さんのことをいろいろと聞いて、わたしの中でイメージが膨らみ、実際にあったことかわからないぐらいの思い出があります。
遠い初夏のある日、わたしは、お父さんの自転車の後ろに乗せられて養蜂場に行きました。その時、どこに行くのかなんて知らされていませんでした。ただ、お父さんの自転車の後ろに乗せてもらえることだけで、うれしかったことを覚えています。小さかったわたしは、それまでお父さんと二人だけになることは、あまりありませんでした。普段から無口な方のお父さんは、わたしに話しかけることもなく、ひたすら自転車をこいで、川沿いの道をどんどん進んで行きました。砂利道やデコボコのくぼみのできた道もあれば舗装されていないのに滑らかな道もあります。すべてのガッタンガッタンは、お尻に伝わります。わたしは、痛くて「ギャッ」と悲鳴をあげたいところですが、そこは、グッと我慢です。「男の子は、それぐらいのことでわめくものじゃない。」と、いつもお母さんに、厳しく言われていたからです。まして、お父さんに嫌われないように痛さをこらえるしかありませんでした。変な声でも出そうものなら怒れるとビビっていたのかも知れません。今の子どもたちにとっては、ぜんぜん考えられないことかもしれませんが、その当時の大人と子どもの間には、それが親子の間であったとしても緊張したものでした。わたしは、小ザルのようにお父さんの背中に必死にしがみつきながらも、流れる景色、そよぐ風に喜んでいました。お父さんの白いシャツがまぶしく、それが風かで膨らんで、わたしの頬をなでます。わたしは、父の背中にいることだけで安心とやさしさに包まれて、とてもしあわせでした。