旬くんは口をパクパクさせている。
旬くんは20歳半ばの長身のサラリーマン、人懐こい顔をしている。いつも周りに振り回されている。
本人にしては「なんで俺だけ・・・」と思っているようだが、そんなことは誰も気にかけていない。(あたりまえだ)
その日も暑かった。ピーカンというより熱波、風がない、朝から気温が上がりっぱなしの猛暑日、タラリタラリ汗が流れ落ちる、ベタつく、イラつく。エアコンも扇風機も役立ない。
逃げるように冷房全開の喫茶店ランチ出かけ、店の迷惑考えず休憩時間ギリギリまで涼んだ旬くんが渋々会社に戻ってきた時に騒ぎが始まった。
「ド、ドロボー!」切り裂ける声が響く。
中年オバンの強烈でヒステリックな声で一瞬その場は凍った。中年オバンは捲くし立てる。
「無いの、私のドリンクが無くなっている!」
「この会社、ドロボーいる!」
中年オバンを遮るものはない。
「いじめ?」
「ここ、監視カメラついているわよ!」「犯人を捜すわ!」
「ドリンクに名前を書かなかった私が悪いのかしら?」
正に取り付く島もない。
ピリピリ緊張感が漂い、時間は凍る。
会社のフロアの片隅、簡易な給湯スペースにある冷蔵庫
をまさぐるのはパートのN畑さんというモンスターである。
また、トラブルメーカーでもあり、あまり関わりを持ちたくない一人だ。
中年オバン、巨漢、野生の熊、モンスターだ。
パワフルデストロイヤーだ。
譲らない女で通っている。40過ぎで旦那と二人の天使のような子供がいるとどこからとなく聞いた。
前にあったことだが、会社の部内で部費として給料日の翌日に1,000円を現金で集めていた。ずっと続いていた風習だった。部費は結果として部内の懇談会や忘年会の個人積み立てとして管理し、年度末に参加しない人には全額清算するというシステムであった。出費補填的なのものであった。
それが彼女曰く
「私は必要ない。絶対参加しない!」
参加しないから払う必要ない。続けて
「私の目で部費を集めることもやめていただきたい!」
私はお金のため必死に働いている。1,000円といっても
私には大きなお金なの。私の前で部費を徴収するとかのやりとりは不愉快だわ。私がどんな気持ちになるかわからないんでしょ!」
そんなこんなで旬くん部内の部費の徴収は無くなった。
この逆ギレ、居直りパフォーマンスについて偽善者旬くんは一応に理解はしたが、「弱者最強」の時代だと思った。
また、彼女の残業伝説。会社はここ数年ノー残業デーを推進している。何時間もの止む得ぬ残業は時間調整として他の出勤日に休みをとるとか早帰りの対応をしている。
その日、パートのN畑さんはお客はさんと電話が長引いた。
就業時間を15分オーバーしてしまったのだ。会社は当然時間調整し、どこかで早く帰ることをお願いしたが、首を縦に振らず課長を困らせた。労働基準局にでも相談するとの剣幕であったらしい。結果、社内でもここ数年前例のない僅か
ばかりの残業が認められたらしい。
彼女にしてみれば正当な理由であるのだ。
●彼女の父親目線では、旦那さんにありがとう。
見たくれも気性も難ありの娘だが、よくぞ嫁に貰ってくれた。ありがとう。どこでどうなってああなったのかわからないが自慢の娘だ。中年オバンだが家族を守る優しい娘だ。
君以外の虫はつかないこと保障する。安心できる娘だ。
これからもよろしく頼みます。
「ドリンクよりドロボーといるのが嫌だわ!」と部内を犯人探しのように見回した。
そこで目が合ったのは旬くんだったのだ。
旬くんは「チガウ、チガウ」と車のワイパーのように大きく手を振った。このリアクションも場の空気を変えることはできなかった。(どうするべきだったのか?旬くん)
殺伐としたし空気の中、午後の仕事再開したところ
「(休憩)遅くなりました。」
息を切らしてエリコさんが部室に入ってきた。新入社員エリコさんは若い、かわいい、あどけない。社内アイドル、希望の星だ。(旬くんがキュンしている娘だ。この娘なら見た目だけ誰からもも愛されるだろう。)
そのエリコさんが、フロアに再び一礼し、例のドリンクをかざした。
「すみません。私、冷蔵庫の中あったこのドリンク間違って飲んでしまったんです。ごめんなさい。今買ってきたので戻します。」と丁寧に真摯に詫びた。
みんなはの眼差しは一斉にパートのN畑に向かった。
N畑は今までのことは無かったかのように
「それ、わたし、わたしの」と笑顔で手を差し伸べた。
(えっそれだけ?今までのは何の時間だっだんだ。)
「私、勘違いして飲んでしまいごめんなさい。昼休みに同じドリンクを捜しにコンビニ回ったんですが中々無くて遅くなりました。良かったらこれも飲んでください」と缶コーヒーも差し出した。
「かえって、私が得したね。気を使わせたね。今度から名前書いとくね。私は根に持たないから大丈夫。これで手打ちだね・・・」笑顔満載のパートのN畑であったが、天使のエリコさん以外みんなの心は複雑だった。(手打ちってお前は
ヤクザかい?それより会社の仲間をドロボー呼ばわりして、あなたのお里が知れちゃうぜっていうより、一緒に居たくない・・・)
それでもなぜかにほっと胸を撫で下ろす旬くんだった。
(旬くん、エリコさんの底知れぬパワーを感じたかい?)
旬くんはいつも口をパクパクさせている。
●天使のオラーは思う。旬くんの周りも面白い。
それも旬くんの才能か・・・
続